2010年03月16日

この国の老人は「表現の自由」がどうやら窮屈らしい

今、東京都の青少年条例の改正案が
ネット界隈を中心に騒がれている。

例えば、こちらで採り上げた
児童ポルノ法改悪案でもそうなのだが、
最近問題視されるこの手の法案には
規制の基準を
運営側が恣意的にコントロールできる余地を残す
極めて曖昧な表現が必ず入っているように思える。

オープンでない基準で規制されるということは、
四六時中言葉や表現を選ばなければならない、ということ。
そこに「言論の自由」「思想の自由」などというものが
存在するとは、とても言えない。

規制される側も人間なら、
規制する側もまた欲望も勘違いもある人間なんですよ。
施政者や公権力の判断が絶対正しいなどとは、
思い違いも甚だしいというものだ。

posted by 佐々木大悟 at 04:22| Comment(0) | TrackBack(0) | ニッポンジンに明日はない | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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